7/13 変わっているね

支離滅裂。

 

最近、身の回りのことや社会に対して悲しく思うことが増え、自分自身や社会などもう諦めなければならない歳になってきていることを自覚しはじめた。しかし、それと同時に強く、強く願うのが、私は世界を諦めたくないということだ。

 

ニュースの内容を要約し、自分なりの意見を少人数のグループで発表する。そんな大学のゼミ活動で、ほとんどの生徒は「自分の考え」を伝えてくれない。トバしてしまうか、空欄である。こっちが話せば「自分の考えをもっていて、すごいと思う」で済まされる。俺はキミの話が聞きたい。でも、その一方で、「また相手の気持ちを考えずに、自分勝手に自分が全て話してしまった」そんな反省がよぎる。というか多分。そう。俺はキャッチボールができていない。ずっとボールを持って磨いているだけ。

 

第一印象を聞いた。「全てを見下してそう」

それは見た目、態度、言葉、全てからそう感じられたらしい。きっとそうなのだろうか。

私が悪いのだろうが、「自分の自信がない、または意見がないことをこっちの原因にしないでほしい」そう感じてしまう。その時点でダメなんだろうと思う。でも、なぜ、いったいなぜ自分のしたい振る舞いがあるのに遠慮しなければならないのだ。やりたいように気を使って、やりたように気を使わなければいい。俺もそれに文句はない。「気を遣え」なんて頼んでもないのだから、頼まないでほしい。

嘘ついてまで君の望む回答をしたくない。

でも、それは、、そっちも同じで、だからこうなっているのか。俺の望む回答を選んでくれているなら、「見下してそう」なんていわないもんな。

 

 

「変わってるよね」

「いい意味で、アーティストっぽい」

そんなことない。それは、俺がバンドをやってるから、そういうラベル付けをしてるだけだと思ってしまう。ラベルばかり増えていく。精神病、性別、○○っぽい。

 

 

でも、みんなきっと頑張ってて、必死にやっている。だから、俺に彼らを指摘する権利などハナからなく、俺は俺で彼らが俺を否定する権利を奪おうとしている。何様なのか。

でも、それでも、「みんな頑張っている」「みんな考えた上でやっている」そうしてしまったら、聖人にでもならなければ生きていられない。もしくは諦めか。聖人などいないので、きっとみんな諦めているのだろう。友人も、就活について「諦めているからできること」と言っていた。

 

どうしたら諦められるのか。どうしたら、諦めないままでいられるのか。どうしたら、彼らと話ができるのか。どうしたら、俺は彼らを想った言葉を選べるのか。どうしたら、俺は彼らの話が聞けるのか、心が聞けるのか。愛したままでいられるのか。

 

俺と付き合いの長いひとは、みんな「そんなことない」とか、「優しい」とか言ってくれる。

でも、これから先はそんな人ばかりではない。短い付き合いの人たちとの関わりを繰り返す。それに擦り合わせていくのが大切なのだろう。

できる自信はない。別に俺1人ならそれでもいい。ただ、俺がそれができなくて悲しむ人は間違いなくいる。苦労する人もいるかもしれない。俺はそれが耐えられない。

 

どうしても自分の中の自分との対話で全てを終わらせようとしてしまう。それはきっとプライドで、弱みで、硬さなんだと思う。

でも、俺は自分を、彼らを、諦めるつもりがない。だから許してくれ。どうか。

 

 

トランスジェンダーのタレントが、それを理由にした離婚に対するネットの誹謗中傷が原因で自殺した。

彼の死骸を守る人が現れた。彼らは生体を守ることはなく、死骸のみをまもる。生体に群がるやつらは死肉は喰らわず、身を隠す。それは当たり前のことで、咎めるべきではあるが、咎めるべきタイミングはもっとはやくにあった。

俺も、あいつも、かれらも、みんな卑怯者だ。

そして、そうすることで楽になろうとするのが最も卑怯に思えてくるので、ネット社会にいる人はみなこの苦しみやモヤモヤに苦しみながら死ななければならない。そうした緩やかな地獄にいる自覚を持ち続ける義務がある。

そして、卑怯に開き直り、教訓を得るとするならば、「お前の目、耳、鼻、肌で捉えたものを大切にしなければならない」ということ。

 

社会は、俺は、とっくに腐っている。

しかし、だからこそ諦めることはないし、諦めなくても良い方法を探していくしかない。

俺は諦めない。だから、どうか。